一度後ろめたいとか思わずに、感情のままに食べてみる

ちょっとタイトルからしていつもとジャンルが違いますが、

 

今回の記事は「食べる」という事に関してです。

 

僕は小学校2年生の時にウインナーを食べ過ぎたせいで激太りしました。

 

そのため、食べる事に関しては少し、気をつけようという気持ちが強めです。

 

そういう背景から、今回はこういうテーマの記事を書いてみました。

 

では行きます。

 

好きなように食べる事

人間が食事をしようとする時の要因としては、大きく分けて二つあると思います

 

①空腹を満たすため

②ストレスで食に逃げる

 

①のための食事なら、特に問題ないでしょう。

しかし②が大きな要因の時が問題になりがちです。

 

 

①の要因で食べた時

 

空腹を起点とした食の時、自分の体が欲するままにものを食べてみると、多少食べ過ぎたりすることもあるかもしれないが、大体はちゃんと反省ができる。

 

「これ以上はやめておこう」と、自然と拒否をすることができるようになると思う。

 

②の要因で食べた時

 

ストレスが起点となる食は「食べ過ぎだとわかっているけど食べたい・・・」などと罪悪感を抱きつつも、ストレスのせいで食べ過ぎを起こしてしまう。そのあとの結果に罪悪感しか感じず、「今日も食べ過ぎた・・・」と考えてしまう。

 

だからと言ってそれをちゃんと反省し、改善できるかというとそうではない場合も多く、またストレスが溜まった時に食べ過ぎてしまう、ということの繰り返しである可能性が高い。

 

今僕が言いたい「感情のままに食べてみる」は①

今回のタイトルの「感情のままに食べてみる」という話は①のこと

 

一度①の理由で好きなように思うがままに食べたいものを食べたとすると、先ほども書いたが、「これ以上はやめておこう」と、それ以降自然と拒否をすることができるようになる。

 

これをポジティブに捉えるなら「安定をとることができるようになる」という言葉に抽象化できる。

 

食べ過ぎは良くないから、食べ過ぎになる前に食べるのをやめる。ということだ。

 

しかしこれを、あえてネガティブに捉えてみる。

 

すると「考えが凝り固まる」という風にも考えられる。

 

 

発想が狭まるという言い方でもいい。

 

こう考えると、安定択しかとることがなくなり、何も面白味がなくなってしまう、という事になる。

 

じゃあどうするか

僕はやはり、両方のいいとこ取り、だと思う。

 

安定択を知りつつも、それを基礎として遊び心を持ってやっていくことが、安定しつつ挑戦しつつというサイクルになるのだと思う。

 

「前はこうだったけど、今回は前と全く同じ状況なはずはなく、今回はここが前と違うから、経験的にはダメそうだけど、試してみる価値がある」というような、その場その場での判断が結局は大切になる。

 

「大枠の理論は大切なのだが、毎回細かく状況は必ず変化しているので、その変化、違いを考慮した上で他の方法を試した方がいいんじゃないかが思い浮かべば、新しいやり方を試すきっかけになるんじゃないか」

 

食であれば、「いつもはすき家に通ってるけど、今日は吉野家にするか」とか「牛丼じゃなくてラーメンにするか!」とか、「ちょっと遠出にはなるけどあそこでしか食べられない海鮮食べに行こう」とか、そういう遊び心を持ってお店を巡って行ってみるの、楽しそうじゃありませんか?

 

これって要するに何にでも応用できる話だと思うんです。

 

スマブラでもコミュニケーションでも、本当になんでも。

 

何かの参考になれば幸いです。

 

終わりに

 

食の話から何にでも応用ができる話になりましたが、なんだか面白くありませんでした?

 

不思議ですよね、具体的なものから抽象化をすると、本当にいろんなものが見えてくるんですね。

 

特に今日はここで話すことはありません。

 

ではまた。